紙芝居ワールド:立絵紙芝居と街頭紙芝居

紙芝居の源流は《立絵紙芝居》であると言われています。
和紙のスクリーンにガラス板に描いた絵を投影する《写し絵》が活動写真(無声映画)の登場で廃れた後、興行師の丸山 善太郎によって考案されました。

これは竹串に14-15cmの切り抜いた絵を貼りつけ、小型の舞台で動かすもので、当初は祭礼縁日の小屋で行われる興行でした。
明治34年(1901年)頃になると、小型の舞台を担いで街頭で上演する《街頭紙芝居》が登場します。

街頭紙芝居は関東大震災が発生した大正12年(1923年)以降、子供の娯楽として人気となります。
その流行から警察の取り締まりの対象となり、見物料を取る代わりに飴を売って代金を徴収するというやり方が広まりました。

昭和4年(1929年)浅草区菊屋橋警察署管内で立絵紙芝居そのものが禁止されると、後藤時蔵が《平絵紙芝居》を考案します。
脚本に従って絵の描かれた画面を次々とぬきながら演じていく、現在のスタイルがここで確立しました。
この時点では画面は横ではなく上にぬき、大きさも現在の半分程度でした。

昭和5年(1930年)に第1作「魔法の御殿」、第2作「黒バット」が作られ、「黒バット」の最終回で、無敵で不死身の悪役である黒バットを倒す正義のヒーローとして《黄金バット》が登場します。
初期の《黄金バット》は永松健夫が作画を担当していましたが、現在、《紙芝居の黄金バット》といえば、一般的には加太こうじが作画を担当したものを表します。


尚、《アニメの黄金バット》は、加太こうじが監修をしています。

原典:wikipedia
参照:紙芝居ネット塩崎おとぎ紙芝居博物館

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