役になりきる事の意味

「舞台の上で役になりきるのが一流の役者」という認識をしている人が結構いるらしいのですが、普段無意識でやっている事を意識してやるのが演技であると考えた場合、舞台の上で役になりきるタイプの人達って演技をしていないんですよね。
だって、あの人達がやっている事って「実際に重いものを持っているので重そうに見える」じゃないですか。


ガラスの仮面(白泉社)17巻より

 

演技として考えた場合、役になりきる事の意味はアウトプットではなく、インプットにあります。
その役になりきる事で、その役が無意識でやる行動を感覚的に理解出来ます。
そこで得た感覚的理解をベースとして《役になりきった自分》が無意識でやる行動を《もうひとりの自分》が観察して、論理的理解へと落とし込んでいく。
このプロセスを経て《役になりきった自分》が無意識でやっていた行動を意識的に再現出来る所まで昇華した時、それが演技になるのです。

天才肌の人は「論理的理解へと落とし込む」というプロセスをスキップして「感覚的に理解したものを感覚的に再現する」となるのですが、その役になりきらずに何度でも再現出来るので、やっている事の本質は同じなのです。